Mushimeganeの日記 

いまを考え、これからを想像する。どうなる未来?!→ http://64mega.com/ へ引越しました。

ちょいと引いた目で、留学の意味と歴史について考えてみた。

 

留学という言葉はいつから使われているのだろうか。

 

最近だと語学留学が主流になってきており、 フィリピン留学や親子留学、 ワーキングホリデーなどの新しい形の留学を

 ニュースで目にする機会も増えているのではないだろうか。

ここでは、そもそも留学って何だろうと引いた目で考えながら、

 歴史的な変化を考察していく。

 

 

1.留学(study abroad) とは?

 

留学(りゅうがく)とは、自国以外のに在留して学術・技芸を学ぶことをいう。 

留学 - Wikipedia

 

→読んで文字のごとく「留まって学ぶ」こと。

 

 

2.留学をする意味はなんだろうか。

 

 立命館大学のオンライン手引き「留学の薦め」(君島氏)には

教育論の古典であるルソーの『エミール』(1762)の 第 5 編の最後に「旅について」という部分を引用し留学は 「教育の総仕上げである」と理由に挙げている。

 

```

「観察すべき事実はどんな種 類のことでも、読んではならない、見なければならない」。

 「一国民しか見ていない者は、人間というものを 知ることにはならない」。

 「人間が自分の同国人しか知らなくてもいいのか、あるいは、人間一般を知る必要があるのか」。

 ルソーはこう問いかけ、教育の総仕上げとして外国旅行=留学を薦めるのです。

```

 

上記を言い換えると教育の総仕上げとして、

自分が学んだものを、自国以外の異文化の中で試す機会といったところだろうか。

人間的な人格形成の要素にも寄与すると言える。

 

 

3.留学の歴史的変遷(国から組織、個人へ)

 

改めて、

 

留学(りゅうがく)とは、自国以外のに在留して学術・技芸を学ぶことをいう。 

留学 - Wikipedia

 

を時代の変遷を追って考えていく。

結果、遣唐師の時代から考えると大幅にグローバル化が進んだことで

国 → 会社 → 個人の時代になっている。

 

今だと当たり前ですが、海外へ行くことなんて想像もつかない時代からの変化w

 

 

① 国家の威信をかけた留学段階 

目的:お国のために技術を学んでくる。職業や技術

誰:遣隋使、遣唐使

      岩倉使節団に代表される使節団。

 

明治期以降、海外の優れた制度を輸入することや、海外の先進的な事例の調査、かつまた国際的な人脈形成、さらには国際的に通用する人材育成を目的として、官費留学が制度化された。 wiki

 

→当時の日本経済を考えると、国家プロジェクトじゃないといけない。。。

 

 ※参考

 『日本のお金』により明治4(1871)年の「新貨条例」で1円は1両と等価。当時1円=1米ドル。

   参考として明治4年(1871)当時の1円(=1両)の価値はどのくらいか物価により示す。

『物価の世相100年』より、大工の日当50銭、米価1升5銭5厘、銭湯1銭、円価1円=酒1斗。

 

 

 

②企業の海外進出段階 【戦後から高度経済成長】

目的:会社のために(自分のために) 

誰:企業の幹部候補

 

1968年 日本はGNPが自由主義経済国内でアメリカに次いで

 第2位になってから企業の海外進出が加速!

→その後、経営学金融工学の時代になり、MBA注目されたりして加速。

 

③個人の海外留学段階 

目的:自分のために

誰:わたし

 

・1985年のプラザ合意後の円の価値の高騰。 (株安になってバブル崩壊したけど、個人の海外への障壁が減った?)

ドル円は直前の240円台から1988年に120円台まで下落しました。

 

・大学進学が2004年をピークに増え、 その後、減少してきている。

 

 

http://toyokeizai.net/articles/-/12936

 

・大学進学は減っているが、

 個人でのワーキングホリデーや語学留学といった形態が増加している。

旅行と留学の境界線も興味深い

 

 

4.まとめ

新たな技術・知識を国家のために学びに行くと言う目的から、個人が世界を知る・異文化を知るといった要素が強くなっていると言えるだろう。

 

国や組織からの派遣から、個人で行ける時代になってきている中で、進学や技術教授にとらわれない留学という形が最近目立ってきたと言える。

 

またグローバル化により情報の流動が活発になっていること、そこでしか学べないものが減ってきていることから

進学以外での目的の多様化が起こってきていると言えるだろう。もちろん日本以外で生きる道を探す海外移住者についても考慮しなくてはならない。

今後はいまの留学の種類と目的についても調べていきたい。

 

「了」

 

 

 

 

閉店が決まった「新宿グリーンプラザ」との思い出を書いてみたよ。

 

およそ1週間前に話題になっていたが、

新宿歌舞伎町にある「新宿グリーンプラザ」

2016年12月25日を持って終了となるそうだ。

閉店のお知らせ

この度平成28 年12 月25 日(日) 午前10 時をもちまして、【グリーンプラザ新宿】【リラックスパシンジュク】は営業を終了させていただくこととなりましたのでご案内申し上げます。 営業開始から34 年間、多くのお客さまにご利用いただき、支えられ、営業を行ってまいりました。これまでご愛顧いただきました事、誠にありがとうございました。
営業終了まで残りわずかな期間となりましたが、これまでと変わらぬご愛顧賜りますようよろしくお願い申し上げます。

 

振り返れば学生時代から新宿グリーンプラザにはお世話になり10年以上の付き合いだ。

とはいえ、イビキが響きわたる雑魚寝スペースで気づいたら寝ていたことは数知らず。

 

グリーンプラザは少なくても三ヶ月にいっぺん、多い時は月に2回くらいのペースで行っていた優良顧客だと自負している。

上司やクライアントに怒られたり、仕事でどうしようもなくなると
私の足は歌舞伎町のグリーンプラザに向かっていた。

土日何もやることがない日も、一日中サウナを楽しんだ。

私の秘密基地だったことは間違いない。それだけグリーンプラザには価値があった!

 

具体的に

ぼくがグリーンプラザを好きな理由としては、

  1. 紙のクーポンよりもお得なモバイルクーポンがあること
  2. 居酒屋レベル(中級以上)の食堂を有し、食べて飲むことができること
  3. ロウリューを教えてくれたサウナと、新宿の夜空を見上げるジャグジー

一つ目の理由は、モバイルのクーポンにいつもアクセスし、普段利用した後にもらえるクーポンよりもお得に使えたからだ。10時間利用でも2,400円のところを1,600円ほどで利用することができるという金額メリットというよりも、紙でクーポンを配ることを続ける姿勢に心を打たれているやもしれない。

 

二つ目の理由は、そんじょそこらの居酒屋なんて比ではないほど、普通に飲んで楽しめる。特にカツカレーは鉄板です。(もう終わっちゃうけど涙)仲間内で行く時は、サウナがついた朝まで行ける居酒屋感覚で活用していた時もあります。

 

三つ目の理由は、サウナとジャグジーですね。ロウリューという熱風を浴びるサウナスタイルを若い自分に教えてくれたのもグリーンプラザでした。グリーンプラザでは、サウナ↔️水風呂に入るというよりはサウナ↔️ジャグジーを繰り返すスタイルでした。

 

上記、三つの理由をあげてみたけど、

グリーンプラザは、コマ劇にある某サウナや、新しめなてる○ーゆなどとは別物であり、大好きな郊外のスーパー銭湯とも世界観がまったく違う、唯一無二の存在である。

昔ながらの、東京への出張者や終電を逃したサラリーマンや学生から、

最近では訪日外国人のバックパッカーが増えたりしていてまだまだ需要はある気がする。

 

 

運営元を始めて調べてみると

安達事業グループという会社で

総称 安達事業グループ
事業内容 レジャー事業
8箇所のリゾートホテル、3箇所のゴルフ場、2箇所のテーマパークに加え、スキー場、ブライダル施設、シティーホテル、カプセル&サウナ・スパ、飲食店、会員制事業、オフィスビル等の数多くの施設を全国に経営・運営。
教育事業
東京デザイナー学院、東京スクールオブビジネスなどデザイン、ビジュアル、ビジネス、観光系の専門学校を全国に17校経営。
設立 昭和33年(グループ始業)
資本金 3億9500万円(レジャー事業合計)
売上高 137億円(2012年度レジャー事業実績)
従業員数 約1,200名(レジャー事業合計)

レジャー事業だけではなく、教育事業も展開されている事業形態のようですね。

ふむふむ。安達事業グループさんは上場企業ではないのでこれ以上探ることできません

が昨今のインバウンドブームで留学生、観光客はつかんでいるのでしょうかね。

(がっちりつかんだグリーンプラザのハートも大事にしていただきたいなぁ。。。)

 

グリーンプラザ新宿の閉店後にも注目していきたいですね。

ひょっとしたら、新宿の別な場所にグリーンプラザが復活する可能性はゼロじゃない?!

 

とにかく、12月25日 10時までなので、

名残惜しい方、まだ行ったことない方はグリーンプラザへ!

 

(了)